海賊戦隊ゴーカイジャー 30話がすごかった

ゴーカイジャーは、1話からずっと観ているんだけど、これまでの戦隊シリーズにさして思い入れがないこともあって、レジェンド回はあんまりピンとこなかった。

で、今回もそれほど期待せずに観ていたんだけど、予想に反してなかなか素晴らしい出来だった。というか、西村和彦がすごかった。なんというか、彼が出てきた瞬間、ゴーカイジャーの世界観というかリアリティががらっと変わってしまうのだ。どんなに深刻な内容でも、どこか牧歌的でユーモラスさを残すゴーカイジャーの雰囲気が、西村和彦の周辺では俄然、シリアスでリアリティのある光景に変わってしまう。役者によって、作品そのもののタッチを変えることができるのだということが実感できた一作だった。

もともと、スーパー戦隊仮面ライダーといった特撮モノ全般に言えることだと思うんだけど、この手の作品に出てくる役者は、演技のなかに「これは絵空事ですよ」というエクスキューズを抱えているように思う。つまり、全般的にリアクションがオーバーで、セリフ回しが大仰になっている。これは、役者の技量云々ということもあるんだけれど、視覚効果も含めて戦隊モノや仮面ライダーといった作品自体が要請する文法でもあるのだろう。
# それが悪いと言いたいわけではない

ところが、西村和彦は、こうした文法を無視して本当に普通のドラマっぽい演技を披露しているため、彼と彼以外の演技の落差が際立つことになっている。実は、彼のセリフ自体は大仰な内容なんだけれど、口調を早めて仕草と声を抑え、間をとることで、ただならぬ緊張感を演出することができている。
特に、研究室のシーンで、過去の出来事を話しだすところなどは、緊迫した演出もあいまって、めちゃめちゃ怖い。


「昔の話だ。人間を捨てて地球征服を目論んだ同級生がいた」


ライブマンを知っている人なら当時の放送を思い出して感慨に浸るところだろうが、全然知識が無い人でも、ちゃんと引き込まれる一言になっていて、観ていてなんだか恐ろしさを感じた。子供向け番組を超え、大人向けのホラーテイストが顔をのぞかせた瞬間になっていたと思う。

こうした演技や演出をスーパー戦隊の中で行っていくことが果たして正しいのかどうかは議論の余地があるとは思うのだが、ある意味レジェンド回らしいレジェンド回になっていたのではなかろうか。また、きっちり演技が出来る人が、愛を持って特撮の世界に戻ってきて、これまでに自分が得たものを返してくれる、というのは感慨深いものがあった。最後の、「さあな」という一言はしびれましたね。